神戸地方裁判所尼崎支部 昭和33年(ワ)327号 判決 1961年3月28日
原告
渡辺なつ
外三名
被告
上町運送株式会社
外一名
主文
被告等は各自原告渡辺なつに対し金七万五千円原告渡辺敏美同渡辺勝博及び同渡辺よし子に対し夫々金五百円及び昭和三十五年七月一日より昭和四十三年三月末日まで毎月末一ケ月金千五百円宛を支払え。
原告等のその余の請求はこれを棄却する。
訴訟費用はこれを二分しその一を原告等その余を被告等の負担とする。
本判決は原告渡辺なつにおいて被告等に対し各金一万円の担保を供するときは同原告勝訴部分にかぎり夫々仮りに執行することができる。
事実
原告等訴訟代理人は、「一、被告等は連帯して原告渡辺なつに対し金二十万円を支払え、二、被告等は連帯して原告渡辺敏美同渡辺勝博及び同渡辺よし子に対し夫々金七万円並びに昭和三十三年四月一日以降十年間毎月末金三千円宛を支払え。三、訴訟費用は被告等の連帯負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、請求原因として左のとおり陳述した。
一、被告上町運送株式会社は一般小型貨物自動車による運送業を営むもの、被告柏原滝夫は右会社に自動車運転者として雇われていたものである。
二、被告柏原滝夫は、被告会社の自動車を車庫へ格納するため、昭和三十三年三月二十九日午後十時四十分頃、被告会社所有の自動三輪車(大六あ九八二号)を運転して、大阪市南区心斎橋筋一丁目通称周防町筋道路中央寄りを時速約三十粁で西進し心斎橋筋との交叉点の手前にさしかかり、折柄交通整理の青信号燈にしたがつて直進しようとしたが、該道路は歩行者の通行が頻繁であつて、そのときも歩行者が停止線を越えて交叉点内に進み出ていたので、かような場合自動車運転者は進路前方及びその左右を注視して障害物の早期発見につとめ、機に応じ急停車避譲等の措置をとつて進行する等事故の発生を防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、被告柏原はこれを怠り、右前方に気を奪われ一時前方注視を欠いて漫然進行した過失により、同交叉点左(南)側から右(北)側へ訴外渡辺岩雄(当四十四年)が歩いて出るのを看過し、その間四、五米に接近して初めて道路中央寄りを横断する同人を発見し、急停車の措置をとつたが及ばず、自己の運転する自動三輪車を同人に衝突させ、その場に同人を顛倒させて脳震盪の傷害を与え、よつて翌三十日午前五時十分頃大阪市南区桃谷町上二病院において同人を死亡するに至らしめたものであるが、当時被告柏原は視力減退し運転者として適当でないのにこれに従事し、被告会社もこれを知りながら運転業務に就かせていたのである。
三、右亡渡辺岩男は生前生活困窮者に対し生活に関する相談に応じる傍ら、不動産取引業を営み、月収最低金五万円あり、妻に生活費として毎月金二万五千円宛支給し、生活に別段不自由はなく、世人の信用も厚く昭和二十六年四月大阪府会議員の選挙に立候補したこともあり、社会的経済的地位は中流であつた。
四、原告なつは亡岩男の妻、爾余の原告等はその子であるが、同人が非業の死を遂げたため、将来の生活について言語に絶する悲痛な状態に陥り、右事故による原告なつの慰藉料は金三十万円が相当であるが、本訴においては金二十万円を請求し、爾余の原告等は慰藉料各金七万円宛の支払いを求める。
又亡岩男は死亡時四十四年であつたから、なお平均余命二十二年余あり、したがつて原告敏美(昭和二十五年二月五日生)同勝博(昭和二十六年十二月五日生)及び同よし子(昭和三十年七月二十三日生)が成年に達するまで生存し得たものと推定すべく、しかるに同原告等は父の死亡により扶養を受ける利益を失い、その損害は成年に達するまでを限度として一ケ月各自金五千円宛の扶養料に相当するものであるが、本訴においてこの内事故の翌月たる昭和三十三年四月一日より昭和四十三年三月末日まで十年間毎月末一ケ月金三千円宛の損害金を請求する。
五、右原告等の損害は被告柏原が被告会社の事業の執行につき原告等に加えたものであるから、被告柏原は行為者として、被告会社は使用者として、連帯して、右損害を原告等に賠償すべき義務がある。
六、よつて、請求の趣旨どおりの判決を求めるため、本訴請求に及んだものである。
なお、請求原因第二項中、被告柏原は交通信号の青燈にしたがつて進行した旨述べたのは事実に反し、当時信号は赤燈であつたと訂正し、同被告は赤信号を無視し同僚の運転する前車の後を追つて漫然走行したため、折柄南北青信号にしたがい五、六人の歩行者と共に横断中の被害者に衝突したのである。
次に被告等の主張に対し、原告等が被告会社から葬式費用金三万千七百五十二円を受領したこと並びに自動車損害賠償保障法により主張どおりの給付をうけたことは認めるが、亡岩男が酩酊していたとの主張を否認し、同人は僅かにビール一本を飲んでいただけである。右保険金は原告等が金七万五千円宛各自の損害金の内入弁済に充て、これを控除したものを本訴において請求しているのであると述べた。(立証省略)
被告等訴訟代理人は、本案前の抗弁として、「本件を大阪地方裁判所へ移送する。」旨の決定を求め、その理由として、本件事故発生地は大阪市内であり、現場の状況等に関する証人の殆んどは大阪に在住し、当然現場検証も予測され、これらの不便及び出資を避ける趣旨で民事訴訟法第三十一条により本申立に及ぶと述べ、
本案につき、「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」判決を求め、原告等の請求原因事実中、第一項は認め第二項中被告柏原は被告会社の被用者であること。同被告は主張の日時主張の自動三輪車を運転して主張どおり交叉点にさしかかり、青信号燈にしたがつて直進したこと、自動三輪車の左前部が僅かに訴外渡辺岩男に触れたのが一因となつて同人が道路上に顛倒し、脳震盪をおこして主張どおり死亡したことは何れも認めるが、その余は争う、第三項は不知、第四項以下争うと答え、次いで、
一、被告会社の業務は午後六時頃終了したが、被告柏原は同僚とテレビを見たりなどして時を過ごし、午後十時頃被告会社の自動三輪車を利用して帰路につき、主張の交叉点にさしかかると、信号燈は赤色で前にタクシー二台と自動三輪車一台とが停車して信号の変るのを待つていたが、被告柏原がそこまで来たとき丁度信号燈が青に変つたので、停車していた前の車が順次動き出した。そこで同被告も前車に続いて交叉点を超えようとし前車と約五米の間隔をおいて左右を注意しながら西進した。このような状況で前車が交叉点を超えた丁度その瞬間、それを待つていたかのように訴外亡渡辺岩男が相当酩酊の態で、交通信号を無視して突然左から右へ交叉点を横断すべく、前車とそれに続く被告柏原との車の間に踏込んできたのである。そこで驚いた同被告は直ちに急停車の措置をとると共にハンドルを右に切つたが、同訴外人は被告の車に気付かなかつたものか、同被告が避けようとした同じ方向へ進んできて、車が極端に接近してから俄かにこれに気付いたのか、急にその場に立止つてしまつた。その位置は被告柏原の車の真正面であつて、同被告の車が停車したのと、訴外人が倒れたのと殆んど同時であり、全く一瞬の出来事であつた。
二、右状況であるから、被告柏原としては、右交叉点の横断に際しては十分注意を払つていたのでありこの間何等の過失もなく、本件事故は全く不可抗力である。
三、仮りに、被告柏原に若干の過失があつたとしても、原告等の損害は原告等主張の如きものではない。何となれば本件における損害というのは、訴外亡渡辺岩男の収入から同人の費消する金員を控除して純粋に原告等にもたらされる利益以上のものではない筈のところ、同人の収入能力の月額は原告が扶養料として計上しているものの総額には程遠いものであり、同人の飲酒の方に費消する金額も相当な額に達し、原告等の手取りは極めて僅かなものであつた。この間の事情は、葬式費用だというので被告会社が支払いに応じたものの中に、訴外人の生前における炭代の未払分まで含まれていたことによつても明らかである。
四、また、原告等に幾らかの損害があつたと仮定しても、本件事故発生の最大の原因は、訴外渡辺が飲酒酩酊して赤信号を無視し、無謀にも自動車が次々と横断している交叉点に踏み込んできた過失によるものであるから、損害金の大部分は過失相殺により控除さるべき筋合いのところ、被告会社から原告等に支払つた金員は、左のとおり合計金三十三万千七百五十二円に達し、この支払額は過失相殺による控除の残額を支払つて余りあるものといわねばならない。
(イ) 金三万千七百五十二円 昭和三十二年三月三十一日葬儀費用等として支払
(ロ) 金十二万円 同年四月十七日自動車損害賠償責任保険金の仮払
(ハ) 金十八万円 同年六月十一日右保険金残額支払済
五、なお、損害賠償の方法として、原告等が扶養料を一方的に分割の方法で支払えというのは、どのような理由に基くのであるか。損害賠償は損害を蒙つた時期において、その損害を算定し、それだけの金額の補填を求めるということ以上のものではない筈であり、一方的な都合で、年金式に支払えなどといえないであろう。
六、その後の調査によると、亡岩男は簡易生命保険に二口加入しており、右保険にあつては事故死の場合は保険金の倍額の支払いを受けられることになつているのに、本件の場合は死者に重大な過失があつたとの理由で倍額支払いを拒絶された事情が判明し、右は亡岩男の過失により本件事故が発生したことを物語るものであり、又右保険金十二万円によつて本件損害は填補されているのである。
七、よつて原告等の本訴請求は何れの点よりしても失当である。(立証省略)
理由
先ず、被告等の移送の申立について判断するに、当裁判所において審理をするときは著しい損害が発生し、これを避けるため大阪地方裁判所へ移送する必要があると認めるに足る資料はないので、本申立は理由がない。
被告上町運送株式会社は一般小型貨物自動車による運送業を営むもの、被告柏原滝夫は右会社に自動車運転者として雇われていたものであること、被告柏原は昭和三十三年三月二十九日午後十時四十分頃被告会社所有の自動三輪車(大六あ九八〇二号)を運転して大阪市南区心斎橋筋一丁目通称周防町筋道路中央寄りを時速約三十粁で西進して心斎橋筋との交叉点にさしかかつたこと、右交叉点において被告柏原の運転する車が訴外渡辺岩男に接触して同人が道路上に顛倒し、脳震盪をおこして翌日午前五時十分頃同人が死亡したことは何れも当事者間に争がない。
そこで、本件事故発生の原因について判断する。
右事実に成立に争のない甲第十四ないし十八、第二十号証並びに証人熊野乙吉同森口輝義(一部)同森口義昭(一部)の各証言被告柏原滝夫本人尋問の結果(一部)を綜合すると、右周防町筋は東西に通じる直線平坦な街路で、歩道と車道と区別され、車道は幅員八・三米でアスフアルトにより舗装され、車道の両外側に十糎高く幅員二・三米の歩道があり、他方心斎橋筋は大阪一の繁華街で、南北に通じる幅員六米の道路は諸車の通行が禁止され全面歩道であり、通行人が多いため両道路の交叉点は交通信号機により午前九時から午後十一時頃まで交通整理が行われており、附近は街燈により夜間においても明るく直線の見とおしは良好であるが、周防町筋より心斎橋筋を見とおすことは人家のため遮ぎられている。
被告柏原は、同僚と共に肩書被告会社事務所から浪速区西円手町所在の車庫へ自動車を納めるため、右自動三輪車を運転し、同僚佐竹の運転する自動三輪車より約十米後れて時速約三十粁をもつて右交叉点にさしかかり、手前約三十米で信号機の赤燈を認め停車しようとしたが、間もなく信号燈が青に変つたので、道路中央をそのままの速度で進行を続け、交叉点の手前十米附近で交叉点の北側停止線に五、六人の南行歩行者を認め、これに意を用いて交叉点に入つたため、折柄南から北へ横断歩行しようと右交叉点内に入つていた訴外渡辺岩男(四十四年)の発見が遅れ、自動車の直前四、五米になつてようやくこれを認め、急拠停車措置をとつたが、時既に遅く、自動三輪車の左前ボンネツト附近で同人と衝突して顛倒させ、間もなく死亡するに至らしたものであることが認定される。
およそ自動車運転者たるものは、右のような道路幅員が余り広くなく、しかも心斎橋筋は全面歩道であつて常に歩行者が予測されるのに、その見とおしがきかない交叉点を通行するに際しては、信号機が進めであつても、これに盲従し応急措置のとり難い時速三十粁の速度のまま進行すべきではなく、必らず減速運転して不慮の事態にそなえ、常に前方の安全を確認しつつ進行すべきであるのに、被告柏原はこれを怠り時速約三十粁のまま進行し、しかも右(北)側停止線附近の人に気をとられたためか、直前方の注視を欠いて被害者の早期発見が遅れたため、後記のような被害者の不注意もさることながら、本件事故は被告柏原の過失によつて発生したものといわざるを得ない。右認定に反する証人森口輝義同森口義昭の各証言被告柏原本人尋問の結果の各一部は措信し難く、その他本件事故が不可抗力であつたことを窺知しうる証拠はない。
右事故による原告等の損害額について検討をすすめる。
成立に争のない甲第十九号証証人熊野乙吉の証言原告渡辺なつ本人尋問の結果によると、原告なつは亡岩男の妻、原告敏美(昭和二十五年二月五日生)同勝博(昭和二十六年十二月五日生)及び同よし子(昭和三十年七月二十三日生)は何れもその子であるが、亡岩男は生前生活困窮者のため生活に関する無料相談に応じる傍ら、不動産仲介業を営み、毎月平均約金二万五千円程度の収益をあげ、資産とてなかつたが一家五人平穏な生活を送つていたこと、ところが原告等は本件事故により突如一家の支柱を失い、病弱の身で十分働けない原告なつは三児をかかえて悲歎にくれ、現在医療扶助をうけつつ間貸しをして生活を支えている状況であり、被告会社は葬式費用等金三万千七百五十二円を支払つたほか、見るべき慰藉の方法をとつていないこと、その他諸般の点に鑑み、精神上の損害を慰藉するについては、原告なつは金三十万円、爾余の原告等は各自金七万円をもつて相当と認める。
次に原告敏美同勝博及び同よし子は何れも未成年者であつて、亡父岩男にこれまで扶養を受けていたところ、右事故によつて将来扶養を受けるべき利益の喪失により、同原告等は加害者に損害賠償を請求しうる固有の権利を有するので、その損害額について考えるに、右甲第十九号証証人熊野乙吉の証言原告なつ本人尋問の結果によると、亡岩男は死亡時四十四年の健康な男子であつたから、なお平均余命二十六年(第九回生命表(修正)参照)にして、少くとも十年間稼動可能であり、その間の得べかりし平均月収金二万五千円より同人の生活費と思料される金八千円を控除すると、一ケ月の純益約金一万七千円となり、この純益によつて家族が扶養をうくべかりしものであつて,同原告等が成年に達するまでを限度としてその扶養をうけうるところ、同原告等は本訴において右期間内である昭和三十三年四月一日(事故の翌月)より昭和四十三年三月末日まで十年間にわたる毎月の損害を請求するので、右亡岩男の純益に原告家庭の状況を考慮すると、右期間内において同原告等は各自一ケ月金三千円の割合による被扶養利益喪失による損害を蒙つたものと認定する(亡岩男の右認定を超える所得については、納税証明書等適格な立証をつくさないので、原告なつ証人熊野の各供述のみによつてはこれを認め難い)。
しかしながら、亡岩男は飲酒の上停止信号に違反して右交叉点を横断しようとしたことが右甲第十五ないし十八第二十号証証人森口輝義の証言被告柏原本人尋問の結果によつて明らかであり、亡岩男の右不注意な行動が本件事故発生の原因をなしていることは蔽うべくもない。しかして亡岩男の過失は、原告等が直接被害者としてなす本訴にあつては、被害者たる原告等自身の過失ではないけれども、ひろく被害者側の過失と解するのが相当であるから、これを斟酌すると、右損害額は原告なつにおいて慰藉料金十五万円、爾余の原告等において慰藉料各金三万五千円並びに昭和三十三年四月一日より昭和四十三年三月末日まで一ケ月金千五百円の割合による被扶養利益喪失による損害をうけたものと判定する。
しかるところ、自動車損害賠償保障法により金三十万円の給付を受けて原告等が各自金七万五千円宛弁済をうけたことは同原告等の自認するところであつて、右は損害金の内入弁済と解されるので、右損害額の内原告なつは金七万五千円、爾余の原告等は慰藉料金三万五千円と、昭和三十三年四月より昭和三十五年六月まで(但し六月分は内金千円)計金四万円の扶養請求権侵害による損害の弁済を受けたものと認められるのである。
被告等は扶養請求権侵害による損害を年金式に請求するのは疑問である旨主張しているが、将来扶養をうけるべき利益の喪失による損害を、中間利息を控除して一時に請求するか、又は、年金式に請求するかは、権利者の選択にまかされているものと解するのが相当であり、本来年金的利益なのであるから、これを年金式に請求するのを拒む理由は見出されない。しかも本件においては、予め将来の損害金請求を本訴においてなす必要が現存することは、弁論の全趣旨に徴し明瞭である。
又被告等は簡易生命保険の給付金をも損害額より控除すべき旨述べているが、右保険金は原告等の損害を填補するものではないから、これを差引くべき理由はない。
しかして、右損害は被告柏原が被告会社の自動三輪車を車庫へ格納すべく運転の途次、原告等に加えたものであるから、被告会社の事業の執行につき原告等に与えた損害であること明らかであり、したがつて被告柏原は行為者として、被告会社は使用者として各自原告なつに対し慰藉料金七万五千円、爾余の原告等に対し夫々金五百円(昭和三十五年六月分残額)及び昭和三十五年七月一日より昭和四十三年三月末日まで毎月末一ケ月金千五百円の割合による扶養請求権侵害による損害を賠償すべき義務あるものといわねばならない。
よつて、原告等の本訴請求を右限度において理由あるものとして認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条第九十三条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 榊原正毅)